灼熱島

暑い!!
外に出ていると体が燃えてしまいそうだ。

今年もお盆には島帰省があったけれど、こんな暑い夏は過去10数年振り返ってもなかったんじゃないかと思います。

島ちゅうと、島ですわね。(ええい、当たり前やないか!)
四方八方海ですわね。
そよそよと吹く潮風に身を任せ、のんびりまったり過ごすのが島の醍醐味ですわね。
それが、どうしたことだ、本当にヒートアイランドじゃないか!

島の家は「エアコン」なんていう文明の利器はありませぬ。
二階はさすがに屋根の照り返しがきついので一台ついているのですが、昼間はエアコンをフル稼働していても32度より気温は下がらず、暑い暑いとのたうちまわり、家の中で唯一気温が低い玄関の土間でも36度。
ここで36度ちゅうことはほかのところは40度近くになっていると思われる。
こういう暑さでしたけど、カイが夏休みの宿題をしなければならないので、島の史跡めぐりを決行。
小さい軽自動車に大人ふたりと高校生ひとりと小学生ひとりがぎゅうぎゅう詰めになり、神社やら郷土館なんかをめぐったのです。
この軽自動車はじぃちゃんのもので、去年はなにやらカセットが差し込んであって、何だろうとセットしたら「はああああああ〜〜〜〜〜〜!おき〜〜〜のぉぉぉぉ〜〜〜」といきなり民謡が流れだしてぶっ飛んで。
今年もカセットが差し込んであったので、恐る恐る(本当は興味本位)再生してみたら「綾小路きみまろ」でした。じぃちゃん、こんなの聞くんだ?
小学生のカイは「おもしろくなーい。」。
そりゃまあね。小学生はね。ターゲット外ですから。
「お母さん、面白いの?」と聞かれて、
「さあ?お母さんもさっぱり訳がわからないわ。」
おっほっほ、と笑う。


とにかく日差しが強すぎて汗が流れないのです。
流れる前に蒸発してるんじゃないかしら。
神社はさすがに地獄だったけれど、郷土館は誰もいないのにエアコンががんがんに効いていて、生き返るようだったわ。


昔の陸軍の官舎だった建物なので、古くていかめしい洋館。手すりに彫り物が施されている階段に腰掛けて「こういう家に住みたいねえ」とぼんやり。
入って右は図書室でぇ。
入って右はあたしのアトリエでぇ。
上の階は子供部屋でぇ。
…こういう広い家はお掃除はどうするのかしら。
ああ、お掃除の心配をしない人が住むのね、きっと。
考えるのは自由。
ちなみに、あちこち巡ったというのに、カイはまだ宿題を終えていない。
早くせんかい!


今年は高速艇ではなく、フェリーで本土に戻ってきたので、その船上で見た夕日が和みだったかも。
本土ー島間の時間は高速艇とフェリーとでは時間が倍ほど違うのですが、高速艇は飛行機と一緒で、トイレに立つ以外は甲板にも出られないしシートベルトで身動きがとれません。その点フェリーは自由です。自由だし、乗船費用も全然違う。でも、お盆の帰省時はものすごい人で、甲板の上もござを広げて座る人で溢れ返り、足の踏み場もない状態になるということも常です。
今年は一番遅い船に乗ったので、そこまでのこともなく、甲板で夕日が見れたんですね。
うちは本土の港に着けば40分ほど車を走らせて家に戻れるのですが、大半の人は港から大阪や広島などに夜間走行して帰るんですよ。大変です。

本土に着くと毎年「ああ、やれやれ帰って来れた」と思う。
わたしは人の家に泊まる、というのがそもそも苦手な人間なので、本当は帰省はとても苦痛です。
自分の実家にすら帰ったときはホテルに泊まるというのに。

それでも送りはできなかったけど、墓参りをして先祖の迎えをし、お盆が過ぎたら何ヶ月も痛みがとれなかった首が元に戻った。
ご先祖様のどうとか、はともかく、ほんの2日間でもパソコンの前から離れたということでの効果はあったのかもしれません。
戻ってからは仕事が忙しくて地獄のような数日を過ごしましたけど。

なお、今回の写真は長男のリョウがデジカメで撮影したものです。
わたしが一眼レフで撮った写真はまだフィルムのまま。
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