いろんな死

▶ in Diary posted Mon 14 Jul 2014 / 20:33

義父の一年祭が終わって一息。
来月は初盆ね。実はそっちがすごく大変らしい。
(↑経験してないからまだ分からない)

一息といっても、準備は全部島の義姉夫婦がやってくださって、感謝感謝。
義姉は実家のことだけじゃなくて嫁ぎ先のこともあるのですごく大変そうだ。
会った時、少し顔がむくんでいて心配したけれど、飲んでいる薬の副作用だから、と。
に、しても、薬を飲みながらだからね…

認知症と聞いていた義母に会ったのも一年ぶりくらい。
前の時は私でもさすがに義母の妙な言動を聞いて戸惑っていたけれど、一年ぶりの様子は髪をばっさりと短くして、黒く染めることもしなくなったので年相応の白髪になって、ばあちゃんっぽくなってた。

言うことも前のような異常さは感じないし、会話は普通に成り立つことが多いので、本当に認知症なの?と思わないでもないけれど、症状は明らかに進んでいるそうな。
で、確かに言わなきゃ着替えることもないし、着替えたら着替えたでパジャマのまま外に出ることも抵抗ないみたいだし、それはさすがに前の母じゃない。
私が私であるかどうかも分かっているかどうかだよ、と言われたけれど、それはどうだったのかなあ。
「私のことわかる?」は流石に聞くのをためらった。
それは、「んー」とか言って考え込まれちゃうと、私もちょっとショックかなと思ったので。
私ですらそうなので、毎日顔を合わせているのに分かってもらえない実の子供の義姉などはもっとショックなのだろうなと思う。
「自分もいつかはと思うけれど、人間ってあんなふうになってしまうものかなあ」とこぼしてました。

せっかく帰ったんだし、疲れきっている義姉の代わりに少しでもできることがあればと思って家のことをやったけれど、一泊二泊する程度じゃさほどのこともできないのだ。
義姉がやってきたことの10分の1も助けになってないんじゃないかなと思う。
義母は作ってあげれば自分で食事はするし、トイレは自分でするけれど、それ以外は一切何もしないので、頼まれた洗濯をすることに。
ここが一番私にはショッキングだったかもしれない。
洗濯機の中に溜め込まれた洗濯物は、いったいいつの頃からの汚れものなのか分からないけれど、今まで嗅いだことがない異臭がした。
とりあえず洗剤をぶち込んで一回洗濯するけれど、蓋を開けて顔を突っ込むと「ぐぼ」と呻いてしまう。
で、もう一回洗剤ぶち込んで。
洗濯機に「Ag抗菌防臭モード」とかいうのが着いていたので、それでゴンゴン回す。
で、ようやく干しました。
着っぱなしの服ってこんな匂いがするんだね。

帰る頃になると、義母は少し落ち着かない。
寂しい、寂しいを連発する。
「何時の船に乗るの」「3時過ぎかな」を3回くらい繰り返したと思う。
玄関口に座って、母と30分くらい話した。
「ひとりでいるのは寂しい」
「昔から体が弱かった私がこんな長生きしてしまうなんて」
「夜になると寂しくてお父ちゃんの遺影に話をするの」
私はこれに対して何も返す言葉を持ってない。
その場限りの慰めを言うのも無責任なのだ。
「ちーねえちゃん(義姉)が毎日来てくれるよ」
事実はそこだけなのでそれを言うと、義母は
「ちーは忙しくて立ったままでああだこうだ言うだけで、さっさと帰ってしまう。私は何を言われてもハイハイ有難う、とそれだけ言っておくの」
と。
これは義姉にはとても聞かせられない。
この理不尽さが「介護」というものを辛くさせてしまうのだろう。

いよいよ港に向かうために車に乗ろうとすると、義母は次男の手を握って離さなかった。
受験生である息子にとってもこうしたことはストレスになるんだろうなと思うけれど仕方がない。
私の祖母は具合が悪くなって2時間後には他界した人だった。
母は1年半余りの闘病の末他界した。
義父も数年の闘病を経て他界。
義母は体はとても元気なので、まだ数年は進行する認知症を抱えてがやて義父の傍に行くのだろう。
人にはいろんな死がある。
自分もいつかは死ぬんだろうけれど、「家族に迷惑をかけて死にたくない」という気持ちが、ちょっと分かりかけてきたかもしれない。

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