怒りはシアワセを呼ばない

わたしは割とよくプンプン怒ることが多いのですけれど、怒ったところで「こいつだけはどーしても許せん!」とか「顔も見たくねぇやい!」みたいなことはあんまりありません。

そもそも、「怒る」「腹をたてる」というのは、とってもエネルギーが必要なことなので、こっちに非があるんならごちゃごちゃ言わずにきっぱりと「ゴメンナサイ」で平身低頭ひたすら謝り、逆の場合なら、ある程度こちらから意思表示ができる時はそれとなく伝え、わかってもらえればそれでよし、そうでないなら「まあ、しゃーないか」でとっとと過去の記憶に追いやる…割とそういうスタンスで来たような気がします。

仕事、というのは大変なようですが、目的が明確なので、次に自分はどういう対応をするか、というのは経験を積むことで習得できる場合があります。
難しいのは、皆がとりあえずは対等であり、個人の自発性が主体となる場、つまり地域社会だったり学校のPTAだったりするようです。
地域社会というのは、引っ越して自分の生活の場を刷新しない限りは逃れることができないので、ここでひと悶着あると相当キツイ。
それはたいがいの人が分かっているので、普通は波風をたてないように細心の注意を払います。

先日、わたしはその「逃れようもない場」でここ10年を考えてもこれほど怒ったことはあるまい、というほど腹をたててしまいました。
ちょっとその場で「はあ、そうですか」と流せない相手の態度と口調で、自分の中では「そこまであんたに言われる筋合いはない」という思いが強かったので。

それでもそのまま怒りに任せて相手に喧嘩をふっかけたりしたら周囲の人が迷惑するだけですから、その場は何も言わずに黙って聞いて終わりましたが、「謝られても許す気はさらさらない」というくらい怒ってしまったので、面と向かって喧嘩をすることができない以上、今後はその人とは必要最低限しか顔を合わさない決心をしました。
うわべは何事もなかったかのように過ごすこと。
当面はそれでいくしかないでしょう。

「何をそんなに怒ったわけ?」
そう思いますよねー。自分でも思うんですよね。
人が聞いたら、「なぁんだ、そんなことー」みたいなことだよなぁ、ということはよ〜〜くわかってるんですよねえ。
どうした、うの!
あんたらしくもない。
うーん、本当にどうしたんだろうなあ。

自分で自分に何度も問うんですが、たぶんこれは「わたしが一番人に言われたくない態度と口調だった」ということかと。
でも、同じことを別の人から別のシチュエーションで言われて怒ったかというと、それはないと思うので、その人とのこれまでの会話やその人の態度なんかがおおいに影響したうえでの結果だったのだろうな、と思います。
さすがに、言われたときにこれまでの数々の出来事が走馬灯のように頭の中を駆け巡って、一瞬気が遠くなったしな。(笑)
お互いにとっての災難やね。
まあ、相手は自分がわたしを怒らせた、ということすら気づいていないと思います。
それが一番の問題かもしれんけど。

怒って人を恨んでシアワセになることなんか、何一つない。
わかっとっても、どうしようもないということはあるんやなぁ。
でも、「怒れん」というミョウに悟ったような人間になるのもどうかと思うなあ。

エネルギーは別に向けましょう、ということで、絵をひとつサイトのほうにアップしときました。
ずっと忙しくて滞っていた絵で、相変わらずちょいとマニアックですけど、奇しくもお互いの信頼感で手をしっかり握り合っているものとなりました。
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