俺、頑張ったし。

昨日、長男がふとわたしの傍に来て言うに

「Kがさあ、どうも彼女をほかの奴に取られちゃったみたい。ビョーキみたいンなってさあ、どうにかしてよ。」

どうにかしてよ、って言われてもこればっかりは。
それより、長男にそんな深刻なプライベートな秘密を打ち明ける友人ができたのだ、ということのほうが母親としては嬉しいわけで。

17歳という年齢から考えて、長男と母親であるわたしの会話は一般世間からすると相当密度が濃いように感じられるかもしれません。
これ、という決まった名前もつかないまま自閉症スペクトラムの中を浮遊して生きている息子の日常は、常に自分の行動や考えが他と合っているかそうでないか、を検証する緊張の日々です。
自分の気持ちにひっかかったことをこと細かに親に話すことで、自分なりの積み重ねをしようとしているのかもしれません。
中学時代の息子は荒れて、わたし自身は命の危険すら感じることが多々ありましたが、今はずいぶん大人になったなあと思います。
今年は次男のバスケットの役員になってしまって、長男のことはあまり構ってやれなかったのですが、長男なりの成長を感じた一瞬は何度かありました。

学校で何か集団でやらないといけないことがあると、途端に怖気づいてしまっていたのが、難なく乗り越えて行けるようになりました。
学園祭やら体育祭やらスポーツレクリエーションやら、そういうものがあるたびに我が家では「みんなから何か言われる」「そんなことないって」「いいや、みんなからきっと怒られる」「大丈夫だって」の繰り返しで、高校一年生の一番最初のスポーツレクリエーションは結局登校もできませんでした。
中学生の時と違って高校は出席日数が進級に響いてしまうため、親も何とか休ませまいと必死です。

今年、長男は体育祭が終わって、初めて「楽しかった」と言いました。
わたしにではなく、うちに来た友達とそういう話をしていたのを耳にしたのですが、長男が学校の行事について「楽しかった」と口にしたのを聞いたのは生まれて初めてだったかもしれません。

先日もスポーツレクリエーションがあったのですが、終わったあとに長男はけっこう不安に陥っていて、「明日学校行ったらみんなに怒られるんじゃないか」「おまえのせいで負けたって言われるんじゃないか」とひどく怯えていました。
金曜日にあったレクリエーションで、次の登校日は二日置いて月曜日です。

「あのなぁ、レクリエーションっしょ?みんなで体動かして楽しめればそれでいいの。そのお楽しみで勝った負けたに3日間怒りを燃やして月曜日にあんたに何かを言ってやろう、というほど、みんなはヒマじゃないと思うぞよ?」

と、わたしは言い、鼻で笑ってやったのです。ひどい親でしょ。

「まあ、それでも何か言ってくるとしたら、その人はあんたのプレーにものすごーく期待してたってことだわねえ。期待されてたのよ。すごいじゃん。」

長男は半分は頭で分かってるんだと思いますが、気持ちの面で納得しきれない部分があるんでしょうね。
しばらくむすーっとしていましたが、一言ぽつりと言いました。

「でも、俺、頑張ったし。」
「そうそう」

何気ない顔をしましたが、この息子の一言はわたしにとって大きな喜びでした。
先生が「よう頑張ったな」とか、クラスメイトも「お疲れさん」みたいなことを言ってくれたみたいですが、今までの息子はそういう言葉をかけられても決して素直に受け止めて自分を認めようとはしませんでした。

自分で自分を認めることって、とっても難しいことだと思います。
息子のように、他と自分の関係性を客観的に捉えるのが苦手な子供にとってはなおのことです。
大人になっていくに従って、人はさらに自らの課題を見つける力を身につけていかなかったりしますけれど、息子にとっては「今の自分」を自分で許容できる、ということが遥かに生きる力に繋がるのではと考えたりするのです。

ちなみに、このスポーツレクリエーションの日は学校ではなく遠方の場所であったのですが、わたしは意地悪を少ししていました。

「帰りは連絡をすれば迎えに行ってやる」
「少し歩けば駅がある。電車に乗れば家の近くの駅まで5分で着く」
「駅前にはバスがある。○○行きのバスに乗ればやはり近くの駅まで着く」

持たせたのは携帯電話を持たない息子のためにテレホンカードと交通費のみ。
案の定、息子はそのどれもできず、徒歩で帰って来ました。
まあ、歩いても一時間ちょいくらいですけれど。
歩いて帰って来たという息子に「ああ、そう」と素っ気無く返事したわたしに、息子はしばらくたってから

「お母さん、俺、電車の乗り方分からなかった。時刻表見てもわかんねえ。」

それが、大事なことだったのです。
よく頑張りました。
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